京都奈良旅行〜1日目〜

こんばんはかつまたです。

 

実はかつまたはそれなりに美術館とか博物館巡りが好きで、上野の国博とかにも良く行きます。

中でも仏像は、小学校に入る前から、仏像好きだった父親に連れられてあちらこちらの寺院や博物館で仏像を見せられた影響で好きになり、かつては毎年京都奈良へ家族旅行に行き、超有名な大寺院や山奥の寺院、ほとんど普通の家みたいな小さな寺まで足を運んでいました。

 

高校入学以降、部活動が忙しくなり行けていませんでしたが、今年は大学卒業も(ほぼ)決まりヒマだということで、かなり久しぶりに京都奈良へと旅行に行ってきました。

ということで、今回はそのレポです。

 

久しぶりということで、復習がてらかなり王道の寺院を巡ってきたので、そんなに仏像に興味が無い人でも、京都奈良へ旅行に行くときは参考にしてくれればと思います。

 

今回は1泊2日の弾丸ツアーなので、朝は5時半に最寄駅を出発する電車に乗ります。東京駅で新幹線に乗り、京都へ。

9時過ぎに京都駅に到着。ここから近鉄線に乗って奈良へ。一路、斑鳩へと向かいます。

 

最初のお寺は法隆寺。かの聖徳太子が建立したとされる、世界最古の木造建築寺院です。

ここでの目玉は、大宝蔵の百済観音。この百済観音像は、その造形の見事さが古くから賞賛された、飛鳥時代随一の傑作とされる像である一方、その縁起や記録がほとんど残っておらず、13世紀頃にいきなりそれらしき像の名前が登場するという、不可思議な像です。

3mほどもある迫力ある巨躯でありながら、そのボディラインは今にも折れそうなほどに細く、あたかも研ぎ澄まされた日本刀の刃のような緊張感をたたえています。それでいて衣紋は軽やかかつ滑らか、細い指で花瓶を携えるその手つきは、嫋やかで優美。神々しいまでに洗練された、強烈かつ鮮やかな印象を与えてくれる、紛れのない傑作です。

 

いつまでも見ていたい気もしますが、今回は1泊2日で京都奈良を回る強行軍。泣く泣く法隆寺を後にし、比較的近くにある法起寺法輪寺の両寺を回り、電車に乗ります。

 

そういえば、法隆寺から法起寺に歩く途中で山背大兄王の古墳がありました。あの辺りはそこら中に古墳っぽい丘があるので、そういうのが好きな人はそれを楽しむのもアリかもしれません。

 

次に向かうのは西の京地区。薬師寺唐招提寺がある地区です。

まずは薬師寺へ。天武天皇が、のちに持統天皇として即位する皇后の病気平癒を祈願して建立したお寺です。境内には梅が咲き始めており、仄かに香りが漂ってきていました。

ここはなんといっても東院堂の聖観音。静謐なお堂の中に佇むこの菩薩像は、その端正かつ柔和な立ち姿から、白鳳仏の最高傑作と評価する声もあります。何を隠そう、かつまたの一番好きな仏像でもあります。

私たちを見ているような見ていないような、それでいて衆生への慈悲の心を深く湛えたような顔つき。全身に動きは少ないものの、静かな立ち姿からは大人びた落ち着きを感じます。百済観音のような鮮烈さではなく、春のそよ風のような、涼しげで穏やかな仏様です。

 

薬師寺を出て、徒歩で唐招提寺へ。途中の蕎麦屋で昼食をとります。

 

唐招提寺には、歩いて10分くらい。奈良時代、風紀が乱れた日本仏教会に、正しい戒律をもたらすべく唐から渡航した高僧・鑑真が建立した寺院です。

先進仏教を学ぶべく唐に渡った普照と栄叡、そしてその2人に請われ日本に渡ろうと決意し、5度の失敗と失明を経験しながらも6度目の航海でついに日本にたどり着いた鑑真和上の物語は、井上靖天平の甍』で有名です。

 

ここでは新宝蔵の伝衆宝王菩薩と伝獅子吼菩薩、そして如来像が見たかったのですが…残念ながら休館とのこと。ここの木彫像は中々味のある作品が多いので楽しみだったのですが、残念。

駅へ戻り、西大寺へと向かいます。

 

西大寺は、東の東大寺と並んで、かつて平城の都を鎮護した大寺院。しかし、その勢力は時代とともに失われ、衰退していきました。

とは言っても、現在でも敷地はそこそこ広く、複数の堂宇に、大規模な塔の基礎部分が発見されるなど、かつての大伽藍を忍ばせるものがあります。

 

ここでのかつまたのオススメは、講堂の十一面観音。大和八十八面観音の1つで、6メートルを超す巨像です。これだけのサイズの像を、ほぼ0距離で見上げられることはあまりありません。最初見た時はそのスケール感に圧倒されました。

ちなみに大和八十八面観音とは、奈良大和地域付近の有名な8体の十一面観音様をお参りする巡礼のこと。四国八十八ヶ所とか、そんな感じ。

西大寺法華寺法輪寺、海龍王寺、聖林寺長谷寺、大安寺、室生寺の8か所。2泊くらいすれば十分回れるので、ぜひ皆さん行ってみてはいかがでしょうか。

 

この西大寺から、再び電車で近鉄奈良駅へ。1日目の締めは、奈良公園興福寺です。

 

興福寺。言わずと知れた大寺院です。中臣(藤原)鎌足が建立した山階寺奈良時代藤原不比等が現在の位置に移し、興福寺と号しました。長く藤原氏の氏寺として権勢を誇り、中世には大和一国を実質的に支配。僧兵などの軍事組織も備え、時の天皇上皇ですら恐れるほどの存在でした。

源平の争乱の中、平重衡による南都焼討によって、その主要堂塔のほとんどを焼失、鎌倉に復興され、阿修羅像に代表される天平時代の質実・華麗な作風の仏像と、無著・世親像に代表される鎌倉時代の豪壮・精緻な作風の仏像との両方の名作が、多く楽しめるお寺です。

 

僕の目当ては、南都焼討で焼失し、この平成の世に再建工事が行われた中金堂。天平の世の姿を現代に蘇らせたお堂を見ることが、今回の旅の1つの大きな目的でもありました。

寺の北側から近づくと、その中金堂が木の間から見えます。堂々たるその姿と、鮮やかな彩色。目立った建造物など少なかったであろう古代において、人々がどのようにこの建築を眺めたのか、そんなことを考えながら歩きます。

お馴染みの鹿に出迎えられて、堂の中へ入ります。すると、鎌倉の大仏師・運慶の作とされる四天王像が目に入ります。

この四天王像、以前東京国博の特別展でお目にかかったことがあるのですが、その時はあまりの迫力に圧倒されました。

飛び出さんばかりに見開かれた目。憤怒の相に浮き出る血管、躍動する唐風の鎧と直垂。筋肉の隆起、服や表情の皺。何もかもが爆発的な運動を実に見事に表現していながら、それでいて全てが調和し、1つの作品の世界を完璧に形成しています。

 

しかし、中金堂に安置された四天王像は、国博で見た時よりもやや遠いからなのか、ライティングなどの展示手法の問題なのか分かりませんが、ややスケール感や躍動感に欠ける印象を受けました。やや不満。

 

東金堂と国宝館をサラッと見て1日目は終了。ホテルへと向かいました。

 

 

 

〜P.S.〜

なんか語ってたらめちゃくちゃ長くなってしまったので2日目はまた別の記事に書きます。